2016年01月30日

想う

1月4日、シンゴちゃんと初釣り。
前日に急遽決まった釣行。
こういう突発的な釣りが好きだったりする。早々から計画すると性格上、肩に力が入りすぎて前夜には8割方イメージを喰い潰されてしまう。人の夢を喰って生きるのはバクではなくてバスだ。
そんな訳で、軽い気分で水面へ。
たまたま予定が被った顔見知りのナイスガイ達とも現場で合流。
彼らはカヌーでパドリングによる釣り。のんびりムードが遠くからでも見てとれる。笑い声はホント山に響く。
自分達といったら狙ったワンドだけ集中して、後はおしゃべりに没頭し、早々と帰路につく。
シンゴちゃんは実に魅力的な釣人。始終、姿勢は緩いが、プラッギングは真剣。このメリハリが見ていて心地いい。
最近、自分の周りではスローなスタイルで釣りをする人が増えた。全国的にはよくわからないけど、自分の視野にいる人達は、大体、速度を落としてきている。心臓破りのトップウォーターバス釣りは、緩ければ緩いほど、その瞬間、訳の解らぬものに襲われる。
スローな釣り。個人的には、とても頼もしい。
釣りなんてもんは、自己満足でいい。やりたいようにやればいい。
オールドタックルもいい、シリースタイルもいい、ストイックな釣りもいい。
やんちゃな釣りでも、くそ真面目な釣りでもいい。
でもって、スローな釣りもいい。
他人の釣りにあーだこーだいう釣り人もいるけど、それもその人の釣りを正統化する為の大切なプロセス。
全て釣り。自由でこそ釣り。釣りは自由であるべき。
色々あってこそ、水面が彩られる。

バスは夢を喰いものにする。
バクは存在しないが、ありがたいことにバスは存在する。

よって、僕らは夢精しなくてすむ。
時間が許す限り、水面に浮こう。

諸君、釣りに行こう。。
サーフェイスゲームは夢の総動員。
酔っぱらって、そう想う。

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2016年01月28日

オカマ引き

釣りの世界にも古くから、「秘技」と呼ばれる技法が多々ある。
500円札を握りしめていた子供の頃はそんな秘技という言葉を雑誌で見かけるや、ドキドキと釣り心がふるえたもの。釣りへの夢がどんどんと膨らみまだ見ぬ未知の世界に引き込まれていったもの。さて、この時代はどうか?秘技という言葉ははっきりいって古くさく使われることは少ない。同様意味合いの技法を紹介するのによく使われてるのは、「シークレットテクニック」や「裏技]ってやつだが、.....これがどうも苦手だ。なんというか軽薄な響きで全く謎めいたものが感じられない。血が騒がない。胸が踊らない。
やっぱり「秘技」。これにかぎる。
ここ数年で出会った秘技といえば、やはりオカマ引きというやつがそれにあたるだろう。今、自分が最も習得したい秘技の一つでもある。これは自分の仲間内では、いまやとても有名な秘技で、これを習得し極めているのは、マサヤス君ただ一人。
5年ほど前か、真夏のリザーバーのバックウォーター。釣り人もバスもすっかりオフに切り替わった時合に、彼のオカマ引きに次々にビッグバスが躍り出たのには本当に驚愕した。その威力を目の当たりにして以来、真似てみるが全く釣果に繋がらない。仲間達もこんな場面に幾度となく出くわし、もはや、オカマ引きは、不動の秘技として認められている。
オカマ引きとは、一体なんなんだろうか?
プラッギングでは、一般的にプラグにビルドインされたアクションを巧みに引き出して使いこなすことが求められる。
が、オカマ引きはそういうのも踏まえた上で、さらにもっと深く突っ込んだイメージを表現している。
サーフェイスプラグには特定の魚種を模倣したものが非常に少ない。それを表現するには、カラーリングによるアピールが限度となる。その先は、想像力によるプラッギングで実績を積んでいくしかない。以前から僕らは、ベイトのオスの動きとメスの動きを追求して使い分けていくことを模索中。とにかく妄想を試していく他ない。
自分的には季節に寄るが圧倒的にオスをイメージしたアクションが有利だとおもう。
が、この持論を打ち崩してきたのが、オカマ引きなのだ。
バスは、オスでもなくメスでもなく、オカマを好むというのがマサヤス説なのだ。

こう文章で書くと本当よくわからない。
すべては現場でしか説明がつかない。

マサヤス君は、言う。
「オカマの世界は深いですよ」

オカマ引きを本気で真似たが全く効果が出ない自分は、数年前、酔っぱらったマサヤスから少しでも核心を引き出そうと、こんな質問をした。
「お前のいうオカマ引きのオカマって、芸能人でいうたら誰なん?」
彼は目を輝かせ真剣な顔で自信満々で即答した。

「美輪明宏です」

深すぎる...。

これを聞いた瞬間、自分のオカマ引きは全くおかど違いだとわかった。
自分のイメージは、なよなよ系のニューハーフだった。

平成サーフェイスゲーム伝家の秘技「オカマ引き」。
そのヒントは美輪明宏だった.....

はっきりいって!
どうでもええわ!!

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2016年01月26日

一杯のコーヒー

行き道、3時間強。
帰りは、記録的寒波のおかげで運休運休の非常事態。辛うじて走った140分遅れの列車に飛び乗り家まで5時間強。
至福のコーヒータイムの為に、焼きもんマグを求めて北陸へ。

焼き物は全て一点もの。全て表情が違う。手にして五感で納得して選ぶべし。通販御免。
この作り手の心意気がいい。

一杯のコーヒーがさらに美味くなる。

往復10時間かけて釣る四国のあの水面のブラックバスに匹敵する魅力。

長い距離は後味の余韻に比例する。

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2016年01月25日

山鯨の効力

去年の末だったか、QFのK氏から猟師を紹介してあげるとの連絡が入った。
高知の若い猟師で、とても自然に対して造詣の深い面白い人物とのこと。
こりゃ愉しみだ。
この果報で、眠りかけていた熱が再燃しはじめた。
そう、自分は猪肉が好物。野生的覚醒を引き起こすのに、釣り以外この獣の肉を食すという方法しか知らないのである。野生が薄れてきた昨今の我が体が肉が血が喜んでるのが血液の流れの速さと熱で感じられる。
この流れ、何か来る。と、そう感じた年の暮れだった。
長年、生きてると自分の人生のストリームが読めてくるもので、久々に向こうからも果報がやって来るのでは、と予感。察知。直感。
果報とは待つべきで、決してこちらから出向いては行けないもの。
とにかく、研ぐのみ。研ぎすますのみ。
いやはや的中。
年明けに、山奥に住む友人から果報。
簡単にいえば、猪肉いる? だ。
ありがたいことに大量の猪肉入手。
そういう訳で、ここ最近、猪肉三昧。
体がドクドク喜んでいる。
ナイフで大きな獣の肉片を今日食べる分だけ切り分ける。
ここから儀式ははじまる。すでに快楽。
自然界の絶対的法則、”弱肉強食”に首を突っ込んでる気分。
奥歯で噛み締める味は、生気そのもの。
今、記録的寒気がきている。らしい。
だが、山鯨によって生かされている最近の自分には全くもって平気。
全然余裕。屁でもない。
生身の人間は実に弱い動物だ。
だが強肉弱食を繰返すことによって人はただならない動物になりえる。
そういうことを最近、実感している。

ケモノは、美しい。
サカナ、然り。

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2016年01月13日

クラシックス

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プラグの別カラーあつらえってもんは、レギュラーものとは別のアプローチで手にした人の釣りの幅を広げるものでないといけない。とそう思う。
それを使うことに特殊な愉しみや期待を与えたり、毒気のある躍起を引き起こさせ、狂気夢中にさせたりと、そんな奥行を付加させなければ意味がない。
特に自分は妄想部分をかき立ててくれるものが大好きで重要視する。
あらゆる方向からブラックバスを刺激する要素を模索。第一に考える。
だがそれは決して主流的な法則に従ったものではない。最新のメソッドやテクニックのような緻密でスマートなタクティクスには全く興味が湧かない。自分的には科学的な考えより、迷信めいた考えの方がバスに近づけるような気がしている。だから、無骨で野蛮で挑戦的で実験的なものを好む。
つまりはワイルド。
そして歴史。を、重んじる。
それでいて媚びはしない。

チャグアイクのこの目玉は一体なんなのか?と、去年からずっと気になっていた。
特に謎なのが、ここまで目をアピールしたカラーをメインに添えておきながら、他のカラー(パーチやフロッグなど)に目を向けるとなんとノーアイなのである。
これは確実に意図されたもの。なにかの確信をもっていないとこんなことはしないはず。
何かを掴んで、たくらんでいたのは絶対。
単なる装飾ではなく機能としての幅を大きく効かせている。
このカラーにはどこか罠漁を彷彿させる生々しさを感ずてしまう。
ここ日本で、現在、このレイジー目玉の答えを即答できる人はいないとおもう。
それならば、。試してやろうということだ。
これがこのクジラフェの別あつらえを作ることになっきっかけ。
もし何か掴めたら、さらに発展させてさらなる罠を作れるかもという野望だ。
ただただ貪欲。もっともっとバスを釣りたいだけ。
このカラーパターンありきの上で、アクションやフォルムをイメージしてみたら直結でクジラフェだった。
はっきり言うと、津波ルアーズで自分が一番好きなプラグはダントツでクジラフェだ。
芸達者なくせに、おとなしい。そこが大好きだ。
派手な目に、静かなプラグ。
この組み合わせは、我ながら的確と自負する。

クジラフェ イン レイジーアイク

まさしくこれは自分が求めるハンティングプラグ。
野性的に、狡猾に。かつ、静穏にバスを狙う方におすすめいたします。

こちらで絶賛同好者受付中。


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2016年01月11日

Bowie



かなりショック。泣ける。。
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2016年01月08日

ENDLESS PLANETS

人間は他の動物より依存が激しすぎる。
パソコン依存、スマホ依存、買い物依存、アルコール依存、健康志向依存、評価依存、薬物依存、情報依存、テレヴィジョン依存、モノ依存、......良きも悪きも果てしなく続く依存。
自己の価値観はどこゆく風に成り下がったのか?
過日、こんなことがあった。
春のリザーバーのバックウォーター遊びの為にスプーンを求めて中古釣具屋に足を運んだ。そこには主人に見捨てられた釣具が、ズラリとスタンバイ。釣り道具の声が聞こえるという特殊能力を備えた自分は、ここへ来るといつも釣具のポジティブさに頭が下がる。やつらは尋常じゃないほどタフだ。主人が何代目と変わろうが、全く媚びることなく、ただただ魚を求めている。ハックルベリー・フィンのような、そんな釣具達に、自分は敬意を払う。
まずは、マイノリティーな嗜好品のはずなのになぜか特等席のショーケースに納まった日本のサーフェスプラグをみる。欲しいもん一杯。二人でまじまじと眺める。二人と言ったが、自分の他、もう一人はアカの他人。
その彼が。その彼の依存が目に余った。んだ。
彼は、彼は、気になるルアーを一つ一つ手にするとその場でスマホでチェック。どうやら相場を調べながら品定めをしているようだ。そう彼はヤフオク依存。見たくはないが、角度的に目に入る。
自分的には釣具をそういうふうに選ぶこと自体、理解不能。
目の前に惚れたものがあれば、財布の中身で間に合うなら迷わず手に入れる。常に出会いは大事。現場主義。そして、魅了されないもの不必要なものが、たとえ相場の半分だったとしても、全く心は動かない。
価値観や財布事情なんて個々様々で自由だから何とも言えないけど、相場より安いから買うor買わないで釣具を選ぶのは、個人的にナンセンスだとおもう。

でもまあ、まだ釣具に関して知識不足で自己の価値観が確立してない人もいるだろうし、それにその中古釣具店の値付けがいまいち信用できないというのもわかるから、しかたないのかな。って。
なぜなら、自分が20年近く前によく釣りに行ってた幼なじみの友人の当時の彼女にあげた手作りルアーが、なぜかそのショーケースの中で1800円で売られてるんだから。高いわ。(爆笑)
でもって、なんでここにあんねん(大爆笑)
そのプラグに真の価値なんて、俺以外誰が付けれるというのか?

500円ぐらいなら、買ってもいいかな.......。

価値観。
これもひょっとして依存?? か!
自分も実は依存の塊か?

できるならいつも空っぽで衝動的に生きたい。

計画人生ファックオフ!!!!
posted by ns at 22:29| 日記 | 更新情報をチェックする

2016年01月06日

ちょっと古き良き時代

世界一周の旅をして元の場所に戻ってくると、見慣れた風景も全く違うようにみえて、今まで気づくことのなかった美しさに出会えるんだって。
それってなに??
世界一周はしていないが、自分が今、ちょっと昔のルアーに立ち戻って面白さを感じてるのと同じなのか?

ビルダー達が”アイデア”を競い合った時代が確かにあった。
一昨日、しんごちゃんに頼み込んで譲ってもらったジョイプラグ。
このカラクリ、これはバス好みだ。バスプラグだ。
究極のバスプラグとは、他魚種に一切相手にされないプラグ。
そんなものあるのか?
いや、すでに出くわしてる気がする。
どいつだ!?

サーフェイスゲームの世界をあと何周かすれば気づけそう。

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posted by ns at 23:40| 日記 | 更新情報をチェックする

2016年01月05日

魚顔

年末に友達から、魚も「顔」を見て仲間同士を識別しあってるという事をどっかの学者が実証したという話を聞いた。顔見知りは仲間。知らぬ顔は敵とみなすということだろう。ほ乳類や鳥類もそうらしい。
ならばバスはプラグの顔を識別できるのか?ルアー釣りにおいてのスレのメカニズムに一因かってるような話だ。
そういえば古い釣りの随筆で、こんな話を読んだことがある。
海釣りでの難敵と言えば、やはり餌取りのフグ。こいつが大群でやってきたら、もうどうにもお手上げ。全ての抵抗が無駄。そんなフグの群れを追い払う非道なすべ。それは釣り上げたフグの片方の目からマッチ棒を突っ込んで、もう片方の目に貫く。それを群れに返すと、目から角をだした悲惨なフグは狂ったように暴れ泳ぎ、それをみた大群は一目散に退散するらしい。こんなこと絶対邪道だが、昔の人の考えることは無邪気で恐ろしく的確。フグ達は、その見慣れないおぞましき角をもった暴魚の顔に、きっと敵意どころか恐怖を感じて逃げていくのだろうに。
そのトリッキーさは想像に難しくない。。
だけど、もし、これがバスの場合なら、逆に逃げずに、襲いかかるだろう。
このフグの群れの散らし方と奇天烈なプラグがバスに有効なのとは、骨子は同じ。クオリティーは違うが昔の釣り人の見事な発見と讃えるほかない。
フグで思い出したが、海釣りの嫌われ者でボラというのもいる。あの不細工な容姿と強烈な匂い。そして、しつこい引きで一瞬は防波堤を賑わかすが、あの姿を現した瞬間の何とも言えぬ残念感と心底からの落胆は野次馬の同情まで誘うほど。期待外れをもたらす外道の中でもトップランクの魚。そのボラが冬になると美味しくなると昔からよく聞く。たまにスーパーに売ってたり、呑み屋でも肴として扱われてるが、未だ自分は旨いと思ったことがない。最近も喰った。毎回ハズレなだけだろうか?あのヌボーとした顔を彷彿させるようなボテッとした鈍い味が舌に絡んでくるだけ。一度でいい、一度でいいから、本当に旨いボラを食べてみたい。
このどこからか沸き溢れる涎。これというのは子供の頃、海にいけば必ずボラを狙っているおっさんがいたという遠い記憶があるからだろうとおもう。
どんな釣りをやっていたかは全く憶えていないが、後々にこの地方で”ボラのヤンカチ”という釣法が流行っていたということを知る。子供の頃見たのはその流行釣りの末端だったのか。正体不明の「ヤンカチ」。この釣法がずっと頭に引っ掛かってる。それはそうと海釣りの最終地点は食卓である。流行るということは、やはり旨いからに間違いない。

昭和30年頃、最盛期の泉南の防波堤には、早朝から数十人の釣り人が詰めかけ、各人10本ほどの竿を操ってボラのヤンカチの腕を競いあっていた。

一体、自分の地元で何がおこなわれてたのか?
今となっては、なんの痕跡も見つからない。

唯一、想像できるのは、野暮ったい釣り人のすぐそばで、マッチ棒を突き立てられたフグが暴れ泳いでたことだけだ。。
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2016年01月04日

目は口ほどに物を言う

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全てのポッパーは常に音を意識して動かすべし。
ただし、チャグアイクのこのカラーリングの場合のみ、目。
目をどう見せるかが肝。
目を意識したアクションに凝る。釣りにおいて思い込みは神がかり。
ポッパーのくせに、目で口ほどの物を言わす。
もはや、この大きな目は核心的な機能。
この目を自在に操れるようになれば、ポップRにもチャガーにもピコポップにも圧倒的に勝るポッパーとなる。
チャグアイクのこのカラー、今さらだけど、要注意プラグ。
決してカラーリング=装飾ではない。
ようは使いよう。
ルアー釣りは、奥深い。
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2016年01月02日

狩り

サーフェイスゲームは狩りの一種だとおもう。
しかも、とても高尚で先進的な狩り。
だが、決して「漁」ではない。根本的に志しが違う。
釣っては放す。釣っては返す。
利を求めず、食欲を満たすことも目的ではない。
この行為が自然に背くか、否かはそれはわからない。
しかし、この釣っては返すという繰り返しは、釣り人として何か重要な心的傾向を包含していると、はっきり言い切れる。
釣り人が水域の循環に釣り針を垂らし入り込んで約4万年。これまで人類は世界各地で幾度となく水域の生態系のバランスを崩してきた。そのことに最も敏感に対峙してきたのは間違いなく釣り人だ。
自分は小さい頃から水辺に立ってきた。そんな阿呆でも気づいている。
慣れ親しんだ関西の湖沼、いや、日本の湖沼は、今、年々、バランスを崩している。
外来種?人為的環境破壊?
いつまでたっても答えのでない、いや、ださない平行線の議論。
まさにバックラッシュ。
はっきりいって国はあてにならない。事実を見ない。
とにかく、今後、重要なのは自分達のスタンスだけははっきりさせておくことだ。
狩りという漢字は、けものへんに守ると書く。
漢字の成り立ちには由来というものが存在するが、その意味は決して絶対的ではなく、時代に添って成長すべきだと考える。本来の意味はよく知らないが、僕らの釣りは決して消費的であってはいけない。
字の通り、”獲物を狩る”ということと同時に守るという意識を強く持つべき。
そうすれば、おのずと自然のサイクルは治癒していくはずだ。

いずれ、必ず、バス釣り人は団結しなければいけない日がくる。

それまでに”真の狩り”を習得しようと、酔っぱらいつつもしっかりと決意する。

これが2016の抱負。

今年もよろしくお願いします。 

posted by ns at 23:24| 日記 | 更新情報をチェックする